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2020年2月17日 (月)

写真というもの

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「写真」というものはその社会的使命を終えた。
誤解しないでほしい。無意味だと言っているのではない。
より文化的な立ち位置に立った、というかもはや
文化的なポジションしか残されていない、というべきか。

ここで言う写真の社会的使命とはなにか。
それは「見える形の肖像として情報を伝える」という事。
写真が生まれ普及する前の時代、それは「絵」の役割であった。
風景画、肖像画、絵図などなど。
絵の持つ「情報を伝える」という役割は写真に移り、
「写真」という範囲のなかでフィルムからデジタルへ移った。
カメラという専用の機材を使い、わざわざ撮る。
そのわざわざ感も含めてありがたみと楽しさがある。
それが「写真」だった。

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デジタルカメラが普及してより安価で手軽になった結果、
もはや情報を伝えるのにわざわざ「写真」を撮る必要はなくなった。
その社会的使命は「画像」で十分なのだ。

携帯電話にちいさいレンズが付いた時、
機能としてのカメラが付いたあの時から
徐々に世の中に浸透し、優先した便利さに性能が追い付き
今や情報の記録と伝達はスマートフォンで十分というか
まさにそれが適している、そうなのだ。

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それはけして否定や非難に値するものではなく
情報伝達手段としての機能として考えれば
「絵」を描いて伝えていた時代から「写真」を経て
より手軽に簡単に伝えることのできる手段を手に入れた。
これは喜ばしいことである。

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そう、写真はいまや文明の利器としての社会的地位を失った代わりに
純粋に文化的位置づけに立った。そう思う。

しかしそれはそれを取り巻く規模の圧倒的な縮小を意味する。
もはや「写真を撮る」という行為はそれ自体がニッチであり
物好きであり興味のない人にとっては理解不能な事。
写真を撮り続けるということは圧倒的な変わり者である。

問題はその目も当てられないくらいに縮小するであろう
「写真」というワールドとそのために必要な「カメラ」という機材を
使い続けられる環境をどう維持継続させるか、そういう事。
今後カメラメーカーとしてその事業だけで大企業であることは
不可能であり事業としては会社のお荷物にならざる得まい。

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さあ、どうする。ったて、それでも僕は写真が好きだから
撮り続けるしかなんだけどね。

本当は旅カメラとしてのコンパクトカメラがいかにいいか、
そして今コンパクトカメラの選択肢が少ない嘆きを書こうと
そう思ったんだけれど、どうも前ふりだけで長くなってしまったので
また今度。

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