昔の日記(2012)
さて先日、棚からひっぱり出したのは学生時代の後半に
使っていたウォークマン。もちろんカセット、およそ20年前。
再生のみだけれど、カセットケースと同じサイズ。
今考えてもすごい機械だと思うわけ。
で、今でもメディアにダウンロードとかいう手段で音楽を聴くという
ことをしないおっちゃんなので比較できないのですけれど
今主流のデジタルな音は「音質」という点でどうなのかなって。
ちょっと思ったのです。
もちろんしっかり手を加えられたデジタル音源は文句なくクリアで
よいものだと思うのですが、『聴く』という手段を含んで考えると
実際に鼓膜に届く『音質』としてどうなのか、と。
ちょっと前(だいぶ?)まで主流だったCDラジカセ。
CD1にカセット2とラジオが普通で、低音用のウーハー付いてたり。
最近、見ないね。大き目のスピーカーで結構いい音してたけど。
今はどうなんだろ。スピーカーで聴くのって。
こだわっている人ではなく、一般の人、若者。
メディアプレーヤーにつなげる小さいスピーカーなのかな。
それが、小さくても一昔の大きいスピーカーと同じ音が出ます
っていうのであればそれは『進化』だけれど。
さて。
*****
いろんなところで手軽さ(=スピード)に価値の重点が置かれて
物事の質があやふやになっていく(なっている、か)時代。
もちろん速度に価値を置くことで新たに手に入るよさはある。
それは大事、とても大事。
でも、それだけではないと思うわけで。
速度に重きを置かないゆえに高まるものも当然ある、はず。
僕が若者だった20年前から「価値観の多様化」ってことが
言われてきた。最近はあまり聞かないキーワードだけれど。
『多様化』という言葉は本来、広がりをもって是とするもので、
そのころと比べて価値が広がったかどうかと言えばどうだろう。
行われてきたのは細分化であって、広がりではないように感じる。
1に0.5を足して1.5になったのではくて
1を2に割って、ほんとは1のままだけれど2に見なしている。
そんな印象があるわけで。特にジャンル分けが進んでる分野ほど。
・・・ただ、細かく分けて名前つけただけ。
そうすると、価値観に対する興味はどんどん内側に進んでいき、
それはひとつの深化だけれど極端に狭い範囲。
それが異常であることを、歪んでいることを承知でいられる
バランス感覚があればむしろプラスになるかもしれない、けれど。
さて、さて。
ゆとり教育うんぬんよりも、机上の多様化のみが当たり前
になった平成の問題認識ではなかろうか、な。
うん。
*****
なんてことを小難しい屁理屈をウォークマンとてっぺんリバティを
見ながら思ったよ。
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