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遠くの近くに霞む富士

2008011029

(KONICA C35 E&Lにて)

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コメント

こんばんは。
なおつぐさんが写すこの空色、大好きです。

一昨日からインフルエンザで自宅療養中です。
熱は少し下がり、だいぶ楽になりました。
インフルエンザと判明する直前、友人と鍋パーティーをしました。
そして互いの相手について話しました。
色んなことを話し、そして思いました。
やはり一人になるべきかもしれないと。
別れをしっかり見届けることをしなかったこと、今すごく後悔しています。
そうできなかったといえば、それまでだけど。
見てみぬふりをしたとしても、結局私はそのままに出来ないのだと気づくのです。
楽しいと思うときもあるのに、
このままじゃいけないと思うときもある。
人はいつどの瞬間にピリオドを打とうとし、
新たな一歩を踏み出そうと思い立つのでしょうか。
悩む自分がいるときは、そのタイミングではないのでしょうか。

投稿: マヨ | 2008/01/31 22:07

こんばんは、マヨさん。

大丈夫かぃ?無理してはいけないよ。
ゆっくりしてくださいね。

う~ん、軽はずみに言えないけれど
>なるべきかも…
って人と人のことで「べき」って事はきっと無いんじゃないかな。
「べき」っていうのは理屈で、
人と人との間柄は理屈だけじゃなくって、うん。

あたまでっかちに考えて、理屈にしたがって行動するって事は
必ずしも正しくも幸せでもないんじゃないかなぁ。

>楽しいと思うときもあるのに、このままじゃいけないと思うときもある。
これってきわめて普通なこと。どっちかひとつなんてない。
100%自分で満足のいく判断・行動なんてないわけで
だれもがどこか何かをこころに残して引きずっているわけで、
人は時にそれを「後悔」と呼ぶかもしれないけれど
後悔のない決断なんてきっとどこにもないんだ、うん。
「悩む自分」がいるのは自然なこと。

「理想を、美化された理想の自分を追いすぎている。」
非礼を承知であえて言ってみる。
それは現実を直視していないこと。
自分に対しても、今の彼に対しても。

新たな一歩はどのタイミングで踏み出すのではなく、
いつの間にか歩き出していて、後から思い返して気がつく。
そんなものではないのかな。
まして人との間柄に「ピリオド」なんてないと思うのです。


なんていろいろ勝手なことを書きました。ごめんね。
でも結局は絶え間なくやってくる「今」というこの瞬間に
マヨさんのこころの感情がどちらへゆれるか、それだけ。
ただそれだけのこと。
そして決めた行動の数だけかならず後悔がついてくる。
それは間違いのない現実で、
そんな繰り返しのなかでいかに理想ではない現実の自分に
合い対せるのか、それが生きるということだと思うのです。


とりあえず、考える前にインフルエンザをお治しね。
体が病のときはこころも病めるものですから。
はやく元気な体になりましょう^^。

投稿: なおつぐ^^ | 2008/02/01 00:28

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