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(KONICA C35 E&Lにて)
2008/01/11 風景 | 固定リンク
こんばんは。 なおつぐさんが写すこの空色、大好きです。
一昨日からインフルエンザで自宅療養中です。 熱は少し下がり、だいぶ楽になりました。 インフルエンザと判明する直前、友人と鍋パーティーをしました。 そして互いの相手について話しました。 色んなことを話し、そして思いました。 やはり一人になるべきかもしれないと。 別れをしっかり見届けることをしなかったこと、今すごく後悔しています。 そうできなかったといえば、それまでだけど。 見てみぬふりをしたとしても、結局私はそのままに出来ないのだと気づくのです。 楽しいと思うときもあるのに、 このままじゃいけないと思うときもある。 人はいつどの瞬間にピリオドを打とうとし、 新たな一歩を踏み出そうと思い立つのでしょうか。 悩む自分がいるときは、そのタイミングではないのでしょうか。
投稿: マヨ | 2008/01/31 22:07
こんばんは、マヨさん。
大丈夫かぃ?無理してはいけないよ。 ゆっくりしてくださいね。
う~ん、軽はずみに言えないけれど >なるべきかも… って人と人のことで「べき」って事はきっと無いんじゃないかな。 「べき」っていうのは理屈で、 人と人との間柄は理屈だけじゃなくって、うん。
あたまでっかちに考えて、理屈にしたがって行動するって事は 必ずしも正しくも幸せでもないんじゃないかなぁ。
>楽しいと思うときもあるのに、このままじゃいけないと思うときもある。 これってきわめて普通なこと。どっちかひとつなんてない。 100%自分で満足のいく判断・行動なんてないわけで だれもがどこか何かをこころに残して引きずっているわけで、 人は時にそれを「後悔」と呼ぶかもしれないけれど 後悔のない決断なんてきっとどこにもないんだ、うん。 「悩む自分」がいるのは自然なこと。
「理想を、美化された理想の自分を追いすぎている。」 非礼を承知であえて言ってみる。 それは現実を直視していないこと。 自分に対しても、今の彼に対しても。
新たな一歩はどのタイミングで踏み出すのではなく、 いつの間にか歩き出していて、後から思い返して気がつく。 そんなものではないのかな。 まして人との間柄に「ピリオド」なんてないと思うのです。
なんていろいろ勝手なことを書きました。ごめんね。 でも結局は絶え間なくやってくる「今」というこの瞬間に マヨさんのこころの感情がどちらへゆれるか、それだけ。 ただそれだけのこと。 そして決めた行動の数だけかならず後悔がついてくる。 それは間違いのない現実で、 そんな繰り返しのなかでいかに理想ではない現実の自分に 合い対せるのか、それが生きるということだと思うのです。
とりあえず、考える前にインフルエンザをお治しね。 体が病のときはこころも病めるものですから。 はやく元気な体になりましょう^^。
投稿: なおつぐ^^ | 2008/02/01 00:28
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こんばんは。
なおつぐさんが写すこの空色、大好きです。
一昨日からインフルエンザで自宅療養中です。
熱は少し下がり、だいぶ楽になりました。
インフルエンザと判明する直前、友人と鍋パーティーをしました。
そして互いの相手について話しました。
色んなことを話し、そして思いました。
やはり一人になるべきかもしれないと。
別れをしっかり見届けることをしなかったこと、今すごく後悔しています。
そうできなかったといえば、それまでだけど。
見てみぬふりをしたとしても、結局私はそのままに出来ないのだと気づくのです。
楽しいと思うときもあるのに、
このままじゃいけないと思うときもある。
人はいつどの瞬間にピリオドを打とうとし、
新たな一歩を踏み出そうと思い立つのでしょうか。
悩む自分がいるときは、そのタイミングではないのでしょうか。
投稿: マヨ | 2008/01/31 22:07
こんばんは、マヨさん。
大丈夫かぃ?無理してはいけないよ。
ゆっくりしてくださいね。
う~ん、軽はずみに言えないけれど
>なるべきかも…
って人と人のことで「べき」って事はきっと無いんじゃないかな。
「べき」っていうのは理屈で、
人と人との間柄は理屈だけじゃなくって、うん。
あたまでっかちに考えて、理屈にしたがって行動するって事は
必ずしも正しくも幸せでもないんじゃないかなぁ。
>楽しいと思うときもあるのに、このままじゃいけないと思うときもある。
これってきわめて普通なこと。どっちかひとつなんてない。
100%自分で満足のいく判断・行動なんてないわけで
だれもがどこか何かをこころに残して引きずっているわけで、
人は時にそれを「後悔」と呼ぶかもしれないけれど
後悔のない決断なんてきっとどこにもないんだ、うん。
「悩む自分」がいるのは自然なこと。
「理想を、美化された理想の自分を追いすぎている。」
非礼を承知であえて言ってみる。
それは現実を直視していないこと。
自分に対しても、今の彼に対しても。
新たな一歩はどのタイミングで踏み出すのではなく、
いつの間にか歩き出していて、後から思い返して気がつく。
そんなものではないのかな。
まして人との間柄に「ピリオド」なんてないと思うのです。
なんていろいろ勝手なことを書きました。ごめんね。
でも結局は絶え間なくやってくる「今」というこの瞬間に
マヨさんのこころの感情がどちらへゆれるか、それだけ。
ただそれだけのこと。
そして決めた行動の数だけかならず後悔がついてくる。
それは間違いのない現実で、
そんな繰り返しのなかでいかに理想ではない現実の自分に
合い対せるのか、それが生きるということだと思うのです。
とりあえず、考える前にインフルエンザをお治しね。
体が病のときはこころも病めるものですから。
はやく元気な体になりましょう^^。
投稿: なおつぐ^^ | 2008/02/01 00:28