父 ~15~
自宅の一部を仕事場にしていた父は(おそらく気晴らしに)
僕を誘ってよく自転車で海まで行った。
海で何をするわけではなく、ちょっと海を眺めて帰ってくる。
「(父が)子供のころはずっと砂浜で、海に向かって駆けていくと
裸足だから足の裏が焼けて熱くて一気には海まで行けなかった。」
そんな話を聞いたころの大浜海岸は砂なんてなくて砂利浜で、
防波堤からちょっと砂利があってすぐに海、だったような気がしている。
父の言う「子供のころ」は戦前の話だ。
それを聞いているのは昭和50年代。もうだいぶ前の話になった。
そんなことを思い出しながら海で写真を撮る。
今はすっかり砂浜になった海岸。
昔はテトラポットは海のなかじゃなかったかな、はて。
去年の今日は「変わるものと変わらないもの」なんていう話を書いた。
実はすっかり忘れていて今年もそんな話を書こうと思っていた。
海も土手も安倍川もそんなに変わっていないように見えるけれど
実はけっこう変わっている。変わらないために変わっている。
僕が写真を(意識して)始めてだいたい15年くらい経った。
相変わらず身の回りの普通のなんでもない景色を撮っている。
そんな写真のなかにも無くなっていった景色が意外とたくさん写っている。
変わるもの、変わらないもの、変わることで変わらないもの。
景色も人も気候も空も、みんな変わっていく。
変わることで変わらない今がある。
さて、書きだしを思いついて書きだしたはいいものの
まったく着地が思いつかない徒然さに我ながらさてさてどうしようなんて
思いつつ、今年の今日もいちごのショートケーキをいただきます。
なんだか中身は変わらないようなまま、すっかりおっさんになりました。
今年もどうやら元気です。
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